室蘭奮闘記(まがい物?)
2004年1月30日ようやく更新できる!
嬉しいですねぇ(笑)
27日の夜には帰ってきておりましたが時間が取れたのが今日となりました。
ま、始まりは21日の夜ですね。
彼の放った、
あなたの実家から電話があったわ
の一言からです。
実家に電話して、父が亡くなったと聞き、私はどうしようもない虚無感に襲われました。
涙がすんなり出てくるわけでもないものです。
一応、悲しくてその日は泣きはしましたが、涙を流さない私を見て彼の方が凹んでいたのは事実です。
そして、22日朝。
実家に帰って速、掃除ですよ。
予定を聞いたら23日が通夜で24日が告別式だとか……
23日は通夜の後、親族の宴会になるであろう予測から、22日はその料理の準備に追われておりました。そして、夜は蝋燭の火が消えないように徹夜です。
23日徹夜明けでお昼頃までは22日の続き。13時頃から納棺、その後またも、食事の準備。通夜の時刻にて、休みがてら通夜に参加。通夜には色々な方がいらしてました。私の会社の上司やら、親戚やら、子供達の先生やら私や弟の友人やら……。その後、焼香が終わった人から帰宅するときの玄関挨拶を一人でやりまして、宴会が始まるわけですよ。常に台所……。落ち着いたのは26時ごろ…。ま、24日の朝2時って奴です。
ちなみに、泣く暇が無かったはずなのに私は高校からの友人が来てくれた事に気が緩んだのか、そのときは涙を流していましたけどね。また、涙を拭って、元気良く挨拶してたりしてました。
24日は3時過ぎに眠気に負けて就寝。
7時には起きて告別式の準備に追われました。ちなみに24日は息子の誕生日でした。息子は通夜の日も告別式のときも誕生日を盛大にお祝いしてくれる事を楽しみしていたようです。
25日はひと時の休みを過ごしました。
26日は役所回りと、甥っ子が深爪から足の親指が膿んでしまったのでその病院とちょっと急ぎ足でした。
27日は初七日の法要…。その後バスの最終便で帰宅してきたわけですが……
参ってます、さすがに(笑)
帰って来るまで泣く暇が無かったんですから(爆)
でも、泣くまではいいのですが、そこで、その人(この場合は父ですね)の想い出に縋り付いてしまってはその人に対して失礼だと思うんです。
その人が、私や残して逝ってしまった人たちの幸せを望んでくれている事を知ってしまっているのならなおさらだと思います。
ただ泣くだけなんて過ごし方だけするまいと……
それだけで強がっているのが周囲には痛々しく見えてしまうのかもしれませんね。
どれだけ心配をおかけしている事やら(笑)
以前何度かこの日記にも何度か書いた公務員さんの最期の言葉がいまだに身に凍みています。
泣かないでくれるね。
君は強いからそんな事は無いと思うけど………
そりゃ、泣いてその場に留まる事だけはしてくれるなと、心配してくれているのが伝わってきていたので、泣きませんでしたけど。
その事でようやく泣いたのはここ最近の出来事です。
だから、父も同じ事を伝えていたのではないかと…
それだけを信じて泣きたくは無いですけどね。
やっぱり痛々しく見えてしまうんでしょうね……
どうもそれだけは回避できないことにちょっとだけ落ち込んでいたり…
嬉しいですねぇ(笑)
27日の夜には帰ってきておりましたが時間が取れたのが今日となりました。
ま、始まりは21日の夜ですね。
彼の放った、
あなたの実家から電話があったわ
の一言からです。
実家に電話して、父が亡くなったと聞き、私はどうしようもない虚無感に襲われました。
涙がすんなり出てくるわけでもないものです。
一応、悲しくてその日は泣きはしましたが、涙を流さない私を見て彼の方が凹んでいたのは事実です。
そして、22日朝。
実家に帰って速、掃除ですよ。
予定を聞いたら23日が通夜で24日が告別式だとか……
23日は通夜の後、親族の宴会になるであろう予測から、22日はその料理の準備に追われておりました。そして、夜は蝋燭の火が消えないように徹夜です。
23日徹夜明けでお昼頃までは22日の続き。13時頃から納棺、その後またも、食事の準備。通夜の時刻にて、休みがてら通夜に参加。通夜には色々な方がいらしてました。私の会社の上司やら、親戚やら、子供達の先生やら私や弟の友人やら……。その後、焼香が終わった人から帰宅するときの玄関挨拶を一人でやりまして、宴会が始まるわけですよ。常に台所……。落ち着いたのは26時ごろ…。ま、24日の朝2時って奴です。
ちなみに、泣く暇が無かったはずなのに私は高校からの友人が来てくれた事に気が緩んだのか、そのときは涙を流していましたけどね。また、涙を拭って、元気良く挨拶してたりしてました。
24日は3時過ぎに眠気に負けて就寝。
7時には起きて告別式の準備に追われました。ちなみに24日は息子の誕生日でした。息子は通夜の日も告別式のときも誕生日を盛大にお祝いしてくれる事を楽しみしていたようです。
25日はひと時の休みを過ごしました。
26日は役所回りと、甥っ子が深爪から足の親指が膿んでしまったのでその病院とちょっと急ぎ足でした。
27日は初七日の法要…。その後バスの最終便で帰宅してきたわけですが……
参ってます、さすがに(笑)
帰って来るまで泣く暇が無かったんですから(爆)
でも、泣くまではいいのですが、そこで、その人(この場合は父ですね)の想い出に縋り付いてしまってはその人に対して失礼だと思うんです。
その人が、私や残して逝ってしまった人たちの幸せを望んでくれている事を知ってしまっているのならなおさらだと思います。
ただ泣くだけなんて過ごし方だけするまいと……
それだけで強がっているのが周囲には痛々しく見えてしまうのかもしれませんね。
どれだけ心配をおかけしている事やら(笑)
以前何度かこの日記にも何度か書いた公務員さんの最期の言葉がいまだに身に凍みています。
泣かないでくれるね。
君は強いからそんな事は無いと思うけど………
そりゃ、泣いてその場に留まる事だけはしてくれるなと、心配してくれているのが伝わってきていたので、泣きませんでしたけど。
その事でようやく泣いたのはここ最近の出来事です。
だから、父も同じ事を伝えていたのではないかと…
それだけを信じて泣きたくは無いですけどね。
やっぱり痛々しく見えてしまうんでしょうね……
どうもそれだけは回避できないことにちょっとだけ落ち込んでいたり…
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